2018.06.13

インタビュー「情報社会の「責任」を哲学する」

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AIの自動運転などを筆頭に、情報技術の倫理問題が浮き彫りになる現代。人間や社会のありようを研究する哲学者や人文科学者たちが、いまだ解決しえない現代社会の問題に取り組み始めています。ギリシア自然哲学の専門家である松浦和也先生らが始動した、「責任」の概念を明らかにするプロジェクトとは?

冊子インタビュー(1)松浦和也先生

【プロフィール】
松浦和也
HITE採択プロジェクト「自律機械と市民をつなぐ責任概念の策定」研究代表者。東洋大学文学部 准教授。インタビュー時:HITE採択プロジェクト企画調査「高度情報社会における責任概念の策定」研究代表者。秀明大学学校教師学部 専任講師。専門はギリシャ自然哲学。

松浦先生のご専門はギリシア哲学とのことですが、具体的にどんな研究を進められているのでしょうか。

 私はギリシア哲学の中でもアリストテレスの自 然哲学を専門としています。アリストテレスは、月下の世界 は火・空 気・水・土の4つの元素でできていると考えていました。もちろん、当時の「科学」であったアリストテレスの自然哲学を現 代の科学にそのまま応用することはできませんが、ギリシアの自然哲学者たちが試行錯誤した知的な格闘と、そのプロセスには現在でも価値があると信じています。なぜなら、そのプロセスと成果は、「ものの考え方」として私たちにも引き継がれているからです。
 ただ、私たちが過去の哲学者が残した文献を読むだけでは、どこまでが著者のオリジナルで、どこからが先行する哲学者の見解からの流用なのか、またはその著者が生きた時代の反映であるのかを判別できません。私はその著作が持つ歴史的背景の有機的関係を解きほぐすことによって、古代ギリシアで生まれた「科学」の特色を浮き彫りにすることを目指して研究しています。この特色をうまく言語化できれば、現代の科学的な思考の根底をもう一度捉え直し、そこからあらたな可能性のヒントが得られると思うのです。

「責任」を思想や文化から考える

HITEに「高度情報社会における 責任概念の策定」というテーマで応募された 理由について教えてください。

 昨今、AIによる自動運転などが技術的に可能になると同時に、事故発生時の判断や責任の所在といった倫理的問題が浮き彫りになっています。例えば、AIを搭載した機械が事故を起こしたとき、その責任を取るのはその開発者なのか、使用者なのか、またはAI自体なのかという問題が生じるはずです。
 こうしたとき、政治的・法律的な責任論だけではなく、どのようなかたちであればわれわれ人間 がより幸せになるのか、という倫理の根本に立ち返る観点からアプローチする方法もあるのではないかと考えました。そこで、そうしたテクノロジーを社会に実装し、実際に害悪が出たときにどんな決着の方法があるのか。開発者も使用者も最も安心できる考え方やバランスを模索できないかと考えていました。
 そしてHITEの公募情報を知ったとき、ここでは法律や各学会の倫理規定をどう設定するかという問題に加え、もう少し深いところ、つまり社会の「文化」の中に情報技術をどう位置づけるかが問われているように感じました。そうだとすれば、文化を保持し、再生産していく人文科学者たちが積極的に参与すべきプロジェクトだと思いました。そして、テクノロジーに関わる人々が今後抱えるであろう問題を乗り越え、専門家と一般の人々をつなぐ責務は、私たち哲学者が担うべき役目だろうと考えました。そのための方法として、「高度情報社会における責任概念の策定」というテーマを構想したのです。

テーマを「責任」の問題に絞った理由は 何だったのでしょうか。

 そもそも「責任」という言葉や概念は、どのように社会で受け取られてきたのでしょうか。これは人文科学の分野でも議論される問いのひとつ です。たとえば、ギリシア哲学の話をしますと、ギリシア語で「責任」を直接意味する言葉は存在せず、最も近いのは「aitia(アイティアー)」 です。「aitia」は、以前は「原因」と訳されていましたが、現在では「説明要因」と訳されることがあります。もしこの訳が正しいならば、「責任」 を意味する言葉の中に「説明」という概念が内包されているということになります。そして、この 「aitia」は、何かものごとが起きたとき、必ずその理由を説明できる前提を含んだ概念ということになるでしょう。現代の日本でも「説明責任」 という言葉がよく使われるように、「有事の際に、(責任者は)説明をしなくてはならない」という 社会通念が責任に対する素朴な理解となっていますよね。
 しかし、私たちのプロジェクトに参与している インド哲学の専門家によれば、インド哲学には 「責任」に対応する言葉はなく、彼らの世界で起こることは前世からの「カルマ(業)」で決められているという考えが支配的なようです。また、 日本語の「責任」はかなり多様な要素を持っていて、英語の「responsibility」に重なり合うところもあれば、忠義や大義のために命を捨てるような武士道的な「責任」の文化もあります。そして、現代では「連帯責任」や「自己責任」といった言葉がメディアで頻繁に使われることから見ても、私たちが用いている責任概念には多くの要素が混在しているように感じられます。
 私たちのプロジェクトはこのような「責任」に焦点を当てていますが、この概念から情報技術を捉えることは、多くの社会的概念と情報技術を接続させることになると思います。言い換えれば、責任の概念の多様性を解体し、整理することは、これからの情報技術をスムーズに社会に導入するためのアプローチのひとつだと思われたのです。

社会とつながる、これからの人文科学

このプロジェクトでは どんなアプローチを採るのでしょう。

 まず、これまでの責任概念の理解のために、AがBを「責める」という事態に着目し、その際にいかなる条件付けが行われてきたのかを、過去の法律や経済、教育、思想、文学作品の中から収集していきたいと考えています。そこから文化や歴史などといった特殊な背景をいったん捨象して、「責める」や「責任」の周辺にある概念を抽出し、その適切な条件付けの事例を類型化します。さらに、情報技術の専門家が抱える倫理的問題 を把握し、研究の中で類型化された責任概念の 適用可能性を探るため、情報技術の専門家にもプロジェクトに入ってもらっています。その交流 の中で、たとえば「知能と機械」といったテーマ で公開議論を行うことで、情報技術そのものの理解も深めていきます。

活動の今後のビジョンについて教えてください。

 哲学者はこれまで新しい思考のあり方を世に打ち出し、社会に風穴を開けてきました。たとえば、アリストテレスはプラトンがつくった「アカデメイア」という学園で学びましたが、その学園の活動には、当時のポリスで生じた様々な問題に対して、哲学者たちが回答するというものもありました。このような役割を私の世代でもきちんと受け継ぎ、自分たちの知見を社会的な問題の解決に生かすべく、努力したいと考えています。そしてHITEの取り組みは、人文科学の知見を社会に生かす実例を研究者のコミュニティに提案する場でもあると思っています。
 また、小中学校や高校の道徳教育にも寄与したいですね。これから社会の担い手となる子どもたちには、新しい情報技術を受け止めていくための、弾力性のある道徳教育が必要です。道徳教材の中に自動運転車が事故を起こしたら、ロボットが人を傷つけたら、といった話題を適切な形で組み込めれば、情報技術とよりよく付き合っていくための素養を子供たちに養えるかもしれません。
 情報技術が社会に「なじむ」社会とは、誰でも情報技術のありようを語りうるということだと考えています。このように多様な人々が相互理解を追求できる土台をつくっていくのも、おそらく私たちの役目だと考えています。

※本インタビュー記事は、「人と情報のエコシステム(HITE)」領域の小冊子Vol.01に収録されています。小冊子の入手については以下をご確認ください。

「人と情報のエコシステム(HITE)」領域の小冊子Vol.02
「人と情報のエコシステム(HITE)」領域の小冊子Vol.01