No.7 災害時、被災した人々の生活再建を、スムーズに一人の取りこぼしもなく進める支援サービスを ~情報通信活性の現在におけるリスクと多大な利益享受のバランスのなかで~


RISTEXの研究開発領域内で活動された研究者や、RISTEXの支援している活動に参加されている研究者を突撃訪問!
論文からは見えない研究の背景や裏話はもちろん、「人」に鋭く迫ります!

林 春男氏(京都大学 防災研究所 巨大災害研究センター長)に突撃取材!

 今回は、「情報と社会」研究開発領域、研究開発プログラム「ユビキタス社会のガバナンス」から、林 春男先生のご登場です。

 梅雨の晴れ間のとても蒸し暑い日、「黄檗(おうばく)」という駅にある京都大学宇治キャンパス内の防災研究所 巨大災害研究センターに突撃訪問!
ご出張続きで大変お忙しい中、お話を伺いました。


京都大学 宇治キャンパス

JR奈良線の黄檗(おうばく)駅の画像

JR奈良線の黄檗(おうばく)駅にあります

生活再建支援の基礎となる「被災者の認定」の問題を解決するために

――林先生のプロジェクトは、地震などの災害が発生したとき生活再建支援を受けるのに必要な罹災証明をスムーズに発給するとともに、被災者台帳を迅速に作成するシステムを開発されました。昨年度(平成22年3月)で3年半にわたる研究開発を終了されましたが、まず、このプロジェクトを始められた背景からお聞かせください。

 きっかけはやはり阪神・淡路大震災です。被災者が350万人くらい出て、生活再建支援策もたくさん作られましたが、問題は「誰が被災者か」を決めなくてはならないということでした。自分が被災者であるということを証明するのが「罹災証明」(被災地である市町村が発行する証明書)ですが、阪神・淡路大震災の時は何十万という単位で、しかも短期間に「罹災証明」を発行しなければなりませんでした。また、支援策は被災直後だけではなく、2年目、3年目とどんどん追加されるのですが、そのたびに「誰が被災者か」という認定の問題が繰り返し起こりました。
 震災後3年目に淡路島に調査に行った時、町役場で「バンザイ!」と叫んでいる人がいたんです。「一部損壊」という認定が「半壊」に変わったと。被災者にとって被害の認定はその後の支援を左右する重要なものですが、多くの場合建物外観を調査するだけなので「きちんと評価してもらったかどうか」すらわかりません。被害認定はものすごい行政コストを伴うものですし、被災者にとって納得がいかないという状況も発生していたので、これを解決しないといけないと考え、このプロジェクトの基礎となる研究を始めました。

始まりは建物の被害認定を誰でもできるようにするシステム(DATS)の開発

――阪神・淡路大震災の時、「罹災証明」は全て紙ベースで発行されていたのでしょうか。

 そうです。どういう基準で調査をして、どういう風に発行していたかはあまりよくわかっていません。自治体の中で証明書を発行する部署も、税務だったり消防だったりとバラバラでした。
 その頃、僕は当時の科学技術庁が始めた「地震防災フロンティア研究センター」のチームリーダーをしていました。そこで98年くらいから建物の被害認定をきちんと行う「Damage Assessment Training System(DATS)」というプロジェクトを始めました。いざという時、資料を見てきちんと勉強すれば誰でも被害認定調査できるということが大事だと思ったからです。
 兵庫県西宮市に被災した建物の写真が13,000枚くらい残っていたので、その写真を全てGIS(地理情報システム※1参照)上に貼り、建築の専門家に診断してもらい、実際に市役所が出した判定結果と突き合わせました。どういう被害が出るとどのくらいの判定になるのかを対応させたのです。
 そして実際の写真の中からわかりやすい写真を選び、「全壊」「半壊」「一部損壊」と写真を見て判定できるように、評価の仕方・手順や実際の壊れ方についての知識などを体系づけました。

※1 GIS(地理情報システムGeographic Information System)・・・地理的位置を手がかりに、位置に関する情報を持ったデータ(空間データ)を総合的に管理・加工し、視覚的に表示し、高度な分析や迅速な判断を可能にする技術


研究室で

被害認定調査から罹災証明発行、生活再建を支援するための被災者台帳の作成へ

――そのシステムを新潟県小千谷市で実際に活用されたのですね。

 2004年に発生した新潟県中越地震で被災した小千谷市が使ってくれるというのでお手伝いしました。自治体の職員の中で手の空いている保育士さんや図書館の司書さんなどを訓練し、建物の被害調査を全棟行いました。
 建物の被害調査を罹災証明という形にして生活再建を支援しようと、証明書を集中発行するシステムも作りました。この時は4日間お手伝いして、3,000枚以上発行しました。
 けれども、災害が起こったばかりの自治体の現場はとても混乱していました。色々な業務が同時並行で始まっており、罹災証明は発行したものの、この時は生活再建支援の基礎となる被災者台帳として活用するところには結びつけられずに終わってしまいました。
 小千谷では2年くらい経ってからやっと台帳を作ったようです。阪神・淡路大震災の時も神戸では台帳ができるまでに5年かかりました。
 なぜ小千谷で上手く行かなかったか。突如降って湧いたようにシステムを使えといっても無理なので、普段から使えるものにしておかないといけない。どうしたらいいのかを考えよう、というのがRISTEXでの研究開発プロジェクトの出発点でした。

――災害時の情報処理と平常時の情報処理をつなぐシステム、ですね。

 当初目指していたのは「日常の業務で使ってもらえる、災害時の情報処理システム」でした。災害時の情報処理は制約された条件の中で行われるので、高いスペックのものを作ることができれば平常時にも使えるはずだと思ったのです。

――それでお膝元、京都府宇治市ではGISを利用してそれぞれの位置情報を共通キーとして地理的に統合した「Geo-Wrapデータベース」の平常時利用の仕組みを開発、実装されたのですね。

 自治体では住宅地図をコピーしてマーカーで塗ってホチキスで留める、という作業を多くの部署で行っています。そういう業務をGISを用いて改善できればと思いました。統合型GISを多用する人たちを僕たちは「ヘビーユーザー」と呼んでいますが、そういう人たちは勝手にやらせておいて(笑)、これからは「ライトユーザー」が大事だと。宇治市で平常時にGISを日常業務で活用してもらいながら、いざという時に強い情報処理の基盤を作ることができたということは革新的だと思っています。

Geo-Wrapシステムの開発~「目的外使用」の壁

――災害時に役立つデータベースを作る上で、何が一番の問題だったのでしょうか。

 被災者台帳を作るためには、①「人・世帯」のデータと②「建物」のデータ、③その建物が「どんな被害を受けたか」という3つのデータが必要です。
 ところが「人・世帯」のデータは住民基本台帳、「建物」のデータは家屋課税台帳、「被害」のデータは新たに作られた被害認定調査データベースに分かれていて、この3つを統合するのが実はとても難しいんです。
 いくつかのデータベースをつなげるためには、共通のキー(同じ項目)が必要ですが、残念なことにそれがありません。課税台帳は家屋の所有者、住民基本台帳は住んでいる人を記載しているので「名前」や「電話番号」では合わないし、課税台帳の表記は「地番」で住民基本台帳は「住所」なので、これも重ならないのです。

――住民基本台帳と課税台帳、被害認定調査データベースに共通のキーを入れることができれば解決するのでしょうか。

 共通のキーを入れるということはまず不可能だと思っています。いわゆる統合型GISが失敗してきた一番の大きな理由は、「目的外使用」の問題なんです。
 自治体の中にはGISを重用している部署がいくつかありますが、それぞれ別々の省庁の指揮下にあって、それぞれの目的のために予算を使って整備しているわけです。そこに「災害時のためにあなたの部署が持っているデータを使わせてもらえませんか」と言っても「それは目的外使用です」ということになり実現しないのです。これは「個人情報保護法」ができるよりもっと前からの非常に大きな問題です。

――この壁を崩すのは難しそうですね。

 もし崩したければ法律を変えるしかありません。簡単にはいかないので、GISを重用している部署から公開可能なデータを借りてきて、それをつなぎ合わせて新しいデータを作って使うという方法を考えました。根幹のデータには一切手を出さず、公開可能なものを一度借りるだけなので、目的外使用の壁を崩す必要はないんです。

――そして開発されたのがGeo-Wrapシステムですね。

 これまでは住民基本台帳と課税台帳の住所を読んでリストでX,Yに変換する「アドレスマッチング」という方法を取っていたんですが、50%くらいしか合わないんです。残りの50%はどうするかをずっと考えていて小千谷の経験からGeo-Wrapという発想が出てきました。
 アドレスマッチングでは上手く行かないけれども、住民基本台帳の地図と課税台帳の地図を重ねたら、ピタッとは重ならなくてもある程度の範囲に絞れる。GISを利用して、それぞれの位置情報を共通キーとして地理的に統合したのがGeo-Wrapシステムです。

Geo-Wrapシステムの「ゆるやかな結合」のヒントはおばあちゃんから

――RISTEXのプロジェクトを始められて間もなく、2007年3月に能登半島地震が起きましたね。

 地震が起きたのは、Geo-Wrapでデータを地図上に適当に置いてみるシステムがちょうどできてきた頃でした。2週間くらい経ってから現地に様子を見に行ったら、翌日から応急修理の受付を始めるという状況で、被災者台帳は罹災証明発行の時でなくても作れることに気づきました。それで今度は被災者台帳を作り、台帳をコアにして生活再建支援を行うというプロジェクトを始めました。
 当時の輪島市は旧門前町と旧輪島市が合併した直後で、旧門前町の被害が大きかったのですが、旧輪島市の職員はこれまで隣町だった「字」のつく地名がよくわからない。そこで被災者本人に住んでいる場所を確認してもらおうということになりました。お年寄りの多い地域ですが、地図を見せるとおばあちゃんでも「私の住んでいるところはここ」とピシッと特定できるんです。
 この経験から、被災地の情報がある程度の範囲まで絞り込めていれば、あとは本人が正しい場所を確認できるということに気づき、それが今のGeo-Wrapシステムのベースとなりました。Geo-Wrapの精度は九十数パーセントで、アドレスマッチングよりはるかに高く、近所の数件の範囲までは絞り込めるのですがどうしてもズレが生じます。どのように確証を得ようと考えていましたが、完璧でなければならないわけではなく、ある程度の「ゆるやかな結合」でいいんだという確信が持てたのです。

――最後の本人確認は重要な決め手ですね。

 最終確認という意味でももちろんですが、被災者本人の参画と言う意味でもすごく重要だと思っています。
 罹災証明の発給の初日は、みなさんすごく固い表情をしていて、カウンターで堰を切ったように自分の被災状況を話します。行政が自分の状況に耳を傾けてくれるのはこの時が初めてなんですね。被災された方は自分がどのくらいの被災をしたのかが測りきれない。罹災証明はアイデンティティと似ていて、その人の被害状況を社会的に定義してくれるわけです。アイデンティティは自己定義と他者定義の一致ですから、「半壊くらいかな」と思っていて認定も「半壊」なら問題ありませんが、全壊だと思っているのに「半壊」と認定されると、アイデンティティ・クライシスが起こってしまいます。
 罹災証明の申請の場は、被災状況の社会的な認定を受けられると同時に、自分がどう考えているかを訴える大事な機会でもあるんですね。そういう意味での参画はプラスの効果が大きく、自分がケアされている、見守られているという実感も持てるので、心理学的にも大変重要なセッションだと思います。

「最後の一人まで」取りこぼしのない支援を可能にする被災者台帳

――その後、Geo-Wrapシステムを新潟県柏崎市でも実践・検証されました。

 能登半島地震の4カ月後、2007年7月に新潟県中越沖地震が起こりました。Geo-Wrapの開発に目処が立った頃で、罹災証明から後の部分をお手伝いすることになりました。そこで今回は徹底して罹災証明を出す、そして発行した罹災証明から被災者台帳を作り、生活再建支援を行っていくということが実際にできるかどうかを検証するプロジェクトを始めました。
 驚いたのは建物被害調査で半壊以上の被害を被った5631世帯のうち、実に1/3以上にあたる2063世帯が当初、生活再建支援の申請をしなかったことです。
 本当は支援を受けたいのに窓口に何らかの理由で来ることができず申請できない人がいないかどうか、被災者台帳のデータを基に市が積極的にアクセスして働きかけを行い、「最後の一人まで」を合言葉に取りこぼしのない支援を行うことができました。

柏崎市での罹災証明集中発行の様子

――小千谷も柏崎も同じ新潟県ですね。

 3年後にまた新潟で地震があるとは誰も考えていなかったと思います。小千谷では成果は出せませんでしたが、活動が知られていたから柏崎に結びついたということはありますね。
 ちょうど新潟大学に「災害復興科学センター」ができ、うちの卒業生が一人行っていたんです。その人が震災初日から新潟県の災害対策本部を支援したりと、自治体との人間関係が最初からあったという意味でも支援がしやすい体制はありました。

――混乱している被災地で協働・支援が受け入れてもらうということはとても大変ではないかと想像するのですが。

 最初はとても大変でしたね。やはり10年間の積み重ねが大きく、最後の方は人脈もできたし活動を知っていただいてだんだんやりやすくなってきました。 
 柏崎では、大学院生を一人常駐させて一部始終を体験してもらいました。一連の研究開発を始めた当初から考えると10年かかりましたが、被災地での実際の経験を経て今回の成果に結実したと思います。

防災展示会での成果発表、そして実装へ

――RISTEXの「ユビキタス社会のガバナンス」成果報告シンポジウムでのご発表も会場からの反響が大きかったのですが、今年の2月には防災展示会に出展、発表されましたね。

 領域総括の土居先生から「成果を社会実装していくことが大事」と度々言われていて、何が実装できるかを整理したら、このシステムなんですね。そこで2月に横浜で行われた震災対策技術展に出展しました。
 2日間で一万人近くの防災関係者が集まるとても大きな展示会で、僕らのブースにも700名以上の方が来て下さいました。同じ場所で行った講演会にもとても多くの方が来て下さり、とても大きな手ごたえを感じました。別の展示会や講演会に招いていただいたりと、研究成果が社会に徐々に広がっていくのを感じています。

防災をご研究のテーマと決められるまで

――ところで話は変わるのですが、先生は社会心理学がご専門ですよね。「情報」や「土木」などがご専門かと想像していたら、全く違って驚きました。アメリカのUCLAに留学されていた時は、第二次世界大戦中の日系移民の強制収容所のご研究をなさっていましたね。

 社会心理学は、社会の現実の問題を科学的に解決するためにある学問です。日本のように古くから同じ人たちがずっと住んでいる国は、「常識」がたくさんありますが、アメリカのように色々な人が集まってくる国では「常識」を科学の手法で作るんだと。科学の手法で社会現象を分析するというのは理にかなっていると思いました。
 ちょうど博士論文の研究テーマを探していた時に、長男が生まれました。僕が日本に帰らなかったらこの子はアメリカで大人になるんだと思ったら、自分が考えている自分と周囲が考えている自分は違う、とか、自分の子どもはアメリカではマイノリティだ、など、ある種のアイデンティティ・クライシスを感じるようになったんです。
 そこで、アイデンティティに関連して、不利な環境に置かれた人たちがどのように社会に折り合いをつけていくのかを研究しよう、さらに僕にできて他の学生にできないことをしようと考え、日系移民をテーマに決めました。日系移民Ⅰ世4万人、Ⅱ世8万人、合わせて12万人のうち、11万人が強制収容されたのですが、当時の収容所の新聞を時系列的に分析し、Ⅰ世とⅡ世のアイデンティティの変化を調べました。
 その後アメリカが経済的に落ち込み研究予算もカットされるような状況になったので日本に帰ることにし、弘前大学に就職したら50日目に日本海中部地震が起こったんです。

――では、アメリカにいらしたときは「防災」は視野になかったんですか?

 ありませんでしたね。アメリカで「防災」を研究している人と会ったこともありますが、奇特なことをする人たちがいるなぁと思っていました(笑)。
 ただ、日本海中部地震が起こったとき、自分たちが暮らしている地域社会でこんなに大きな災害が起こったのに何も動かずにいていいのかという気持ちがあり、仲間の若手研究者と調査チームを作りました。「お前が言いだしっぺだろ」と言われて逃げられなくなり(笑)、現在に至ります。

――その時の調査は心理学的なものですか?

 そういう意味では現在でもそうですよ。社会現象としての災害の学理の究明を大きなテーマにしていて、被災者サイドと災害に対応する側のサイド、この二つのグループの問題を考えようと。
 最初は被災した地域の人々の反応を科学的に記述しようというところから始まりました。日本海中部地震では10m以上の大きな津波が発生し、100名の方が津波の犠牲になりました。報道では「東北地方の日本海側には過去400年津波がなく、伝承もなかった。今回警報も流されなかったため、多数の人が津波の犠牲になった」という結論でした。一見ロジカルに聞こえるのですが、現場で確認したらやはり亡くなった人それぞれに理由があり、報道が言うように簡単には結論付けられないことがわかりました。それできちんと調べてみようと思ったのが「災害・防災」に入ったきっかけです。
 弘前大学の後、1988年に広島大学に移ったら、今度は1991年に台風19号という広島中が停電してしまうようなすごい台風に直撃され、また調べることになりました。災害ばかり研究しているのでここ(京都大学防災研究所)に呼ばれたら、着任の翌年、阪神・淡路大震災が起こってしまったんです。

――先生の行かれる先々で災害が起こりますね(笑)。

 だから東京に来るな、と言われているんです(笑)。

次は東京、首都直下地震対策のプロジェクト

――でも今、東京で地震に関するプロジェクトを進めていらっしゃいますね?

 文部科学省が首都直下地震の特別プロジェクトを推進しており、チームリーダーを務めています。RISTEXの研究開発での成果であるシステムを、今度は首都直下という枠の中で東京に応用しようと。
 人口10万人くらいの小さな町なら、僕らのチームが災害後に入っても対応できます。ところが首都直下地震では、東京都だけで50くらいの自治体が同時に被災します。他の県も入れたら200くらいになるかもしれない。そこにどうやったら展開できるかと考えると、「事前に」システムを導入して、各自治体で中核となる担当者をトレーニングしておかなければダメだろうと思うんです。
 「災害後」の一つのチームの努力を、「災害前」の複数のチームの力に変える、というのを今度は是非やりたいなぁと思っています。RISTEXでの成果をプロトタイプだと考えれば、複数の自治体が同時に活用できるようにするためにどういうソリューションがあるかを考えようと思っています。

――東京は、住民基本台帳や課税台帳がしっかりしていないようなイメージがあるのですが。

 住民基本台帳や課税台帳に載っていない人や建物はたくさんありますね。ただ、それが逆に「ゆるやかな結合」を使うことのメリットにもなるんです。僕たちは台帳はパーフェクトだと思っていません。ゼロベースで最初から作って、既存のもので補えるのだったら補うという考え方です。ですから行政的な手間は地方より東京のほうが多いのは間違いありませんが、マッチングという意味では本質的な差はないと思います。
 東京の場合は、23区の区役所に課税台帳がないということのほうがもっと大変ですね。課税台帳は「都税事務所」という別の組織にあるんです。役所を越えてつなげなければなりません。ですから今のシステムがそのまま実装できるわけではありませんが、東京都で使えるシステムを東京の皆さんと一緒に開発していこうと思っています。

RISTEXでの研究開発を終えて

――一緒に活動された研究スタッフの方についてお聞かせください。

 GISのシステムを作るスタッフと、それをサービスとして展開するスタッフと、自治体に入って実践してきたスタッフと大きく3つの構成体です。担当していることは全く違うのですが、その3つが1つにつながるということが大切だと思っていました。
 GISは阪神・淡路大震災の直後から役に立つだろうと言われて来たんですが、実はあまり役に立っていないんです。それはGIS屋さんがGISのためにGISを使ってやってきたからで、GIS至上主義になっている。そうじゃないんだと。今回開発したGeo-Wrapは「コンピュータのシステムではなく、サービスの仕組み」だと思っています。被災者支援のためにあくまでもサービスとしてGISを使う。GISチームは中核となる仕事をしていますが、大きな目的を忘れてはいけないと常に言っていました。


2月の震災対策技術展で、スタッフのみなさんと。

――RISTEXの研究開発プロジェクトが終了したところですが、先生がこれからやりたいことはどのようなことですか?

 今、日本は地震の活動期です。首都直下地震や東海・東南海・南海地震が起きれば、阪神・淡路大震災の10倍くらいの規模で、死亡者も4~5倍になるのではないかと予想されています。複数の都道府県が同時に被災するということも今までにはなかったことなので、それを乗り切れるような仕組みを作りたいと思っています。
 生活再建のコアに被災者支援の管理の仕組みは必要なので、今回の成果をもっと実装していくことは大事です。また災害対応全体の能力を上げるような業務の標準化も必要ですし、今何が起こっているかという状況認識の統一のための仕組みも必要です。経済の再建や物理的なさまざまなものの再建をマネジメントできるようにならないといけないと思っています。

――RISTEXの研究開発についてのご感想は?

 僕はRISTEXのやり方はとてもいいなぁ、と思っています。土居総括に叱られてばっかりいましたが(笑)、定期的に研究開発プロジェクトについてモニタリングしてもらって、フィードバックしてもらいました。僕は今までマネジメント側からこんなに積極的にサポートして貰った経験はありませんでした。悪く言えばくちばしを突っ込まれているわけですが(笑)、こんなにケアをしてもらったのは初めてで、研究を進めるにあたってすごく役にたちました。
 おカネを出すけど口は出さない、自由にやってごらん、というファンディング機関が多い中で、RISTEXは研究内容にマネジメント側がかなり踏み込んで来ます。『情報と社会』という領域を良くしようという総括やアドバイザーの熱い気持ちが感じられました。



プロフィール

氏 名: 林 春男(はやし はるお)
経 歴: 早稲田大学文学部心理学科卒業、同大学大学院修士課程修了・博士課程修了、カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院博士課程修了後、弘前大学人文学部助教授、広島大学総合科学部助教授、京都大学防災研究所助教授、平成8年より京都大学防災研究所巨大災害研究センター教授、平成17年~平成19年、平成21年より京都大学防災研究所巨大災害研究センター長。
専門: 社会心理学
血液型: B型
星 座: おひつじ座

リラックスタイム

――研究がなかなか上手く進まないときにはどのように息抜きや気分転換、リラックスをされていますか?

 あまりないんです。だいたい3つくらいの違う仕事を掛け持ちして進めているので、そのひとつが上手く行かないときは寝かせておいて、別の仕事をやっています。別のことをやっているとなぜか自然に他の仕事の手詰まりが解消するんです。困った時に本を開くとなぜか良いことが書いてある(笑)。意識的に気分転換とか息抜きをしているわけではないですが、パラレルに進めることがシナジー効果をもたらしているような気がします。

――研究を行う上でのモットーや座右の銘があれば教えてください。

 社会心理学の父と言われるクルト・レヴィンという人が作った「アクション・リサーチ」という有名なアプローチ方法です。自分たちの社会、または自分自身が経験している問題を、「科学」という手法で解く。「アクション・リサーチ」では現場から知恵を貰い、それを磨いてまた現場に返すんです。フェンスの外から野次るのではなく、外野でもいいからプレーヤーとして現場でプレーするということを大切にしたいと思っています。
 また、レヴィンは「良い理論ほど役に立つものはない」と言っています。社会心理学はある意味常識と紙一重のところがありますが、いろいろな社会現象を上手に説明できます。それは防災という文脈の中でも同じで、いろいろな現象をきちんと統一的、または合理的に説明できるようになれば最適な解決方法も生まれるような気がしています。

――最後にこのWEBを見ていらっしゃる若手研究者へのメッセージをお願いします。

 若い人には「研究技術を磨け」と言いたいです。研究者というのはハンターみたいなものだと思うんです。とすれば仕留め方を学んでおかないと獲物は手に入りませんよね。鉄砲なのかナイフなのか弓なのか罠なのか、人によって使う武器は違っていろいろな方法があると思います。
 一流の研究者になるためには、いい「テーマ」をきちんとした「技術」で研究することが必要ですが、「技術」を先行させるか「テーマ」を先行させるかの二通りしかありません。若いうちからテーマにこだわりすぎると、技術的な幅が狭くなってしまうような気がするんですね。技術を磨きながら経験を重ねるうちに自分に合ったテーマが見つかり、いい研究ができるような気がします。
 それに技術を磨くというのは年を取ると難しい。今更統計学やコンピュータの勉強なんかしたくありませんから(笑)、若いうちにやっておかないと。昔、僕の先生が「俺たちは大学院で習った統計のレベルでしか研究しない」とおっしゃっていたんですが、確かにそうなんですよ。大学院の演習でやる課題はテーマ的には面白くないかもしれないけれども、そういう演習をしておくのは重要なんです。
 僕も若いころ何を研究していいのかよくわからなかったんです。今自分がやっていることを一生やり続けなくてはいけないということもないし、やりたい研究もはっきり見つからないかもしれませんが、技術的な能力アップを絶えず図っておくことは重要だと思います。


取材を終えて


防災研究所・巨大災害研究センターの建物

 京都大学宇治キャンパスの奥の方にある防災研究所・巨大災害研究センターのある建物は、モダニズムを感じさせる素敵な建築でした(耐震構造が弱いため、来年度には建て替えられてしまうそうです・・・残念!)。
 階段の踊り場の壁に、罹災証明の申請手続き場の動線について説明したポスターが貼られていました。被災者、そして被災者に対応する自治体の職員のストレスをなるべく大きくしないように配慮されているそうです。「被災者が自治体と直接話せるせっかくの機会がクレームになってしまうのは残念なので、建設的な場になるように、ディズニーランドのスペースマウンテンのように待たされてもストレスを感じないような動線ができないかと考えました」と。
 「情報と社会」という研究開発領域のなかで、ご専門が文系というのはとても異色で驚きがありましたが、お話を伺ううちに、「人」をきちんと見つめ続けているからこそこのような研究開発につながり、「人」と「社会」に還元される成果が生まれるのだと実感しました。

TEXT & PHOTO:RISTEX広報 すもも
(柏崎市と展示会の写真は林春男先生からご提供いただきました)

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